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岡山文学フェスティバル、など (瀬崎)   

今年初めて企画された「岡山文学フェスティバル」が旧内山下小学校でおこなわれた。

廃校となった内山下小学校は岡山城のすぐ近くにあり、後楽園からも近いという絶好のロケーションにある。
その教室跡を使って全国の出版社や古本屋がブースを出していた。福岡の侃侃房も参加しているのには驚いた。

いろいろな催し物の一環として「美しい詩をあなたに」が午前中に企画されていた。
はじめにジャック・プレヴェールや茨木のり子、谷川俊太郎などの作品がセミプロの朗読者によって朗読された。
古い教室のガラス窓からは初春の光が射しこんでいた。

つづいて、岡山県内の同人誌紹介と自作詩朗読があった。
県内の代表的な詩誌としては「火片」、「道標」、「ネピューラ」、「黄薔薇」そして「どぅるかまら」がとりあげられた。
私が「どぅるかまら」の簡単な紹介をして、河邉由紀恵氏が「もがみ中学」、そして私が「東一条」を朗読した。

なかなかに面白い企画であった。来年以後も続けて欲しいものだ。

午後からはオリエント美術館の地下講堂でおこなわれた「詩を楽しむ会」に出席してきた。
これは岡山県詩人協会が不定期におこなっている催し物で、第9回となる今回のテーマは竹久夢二だった。

彼の詩、随筆、童話などが,映像や音楽とともに朗読された。
そのあとで斎藤恵子氏が竹久夢二の生涯を解説した。始めて知るような逸話も多かったが、彼の女性遍歴にはあらためて驚かされる。
ピカソも恋多き人で、恋人が代わるたびに作風が変化したが、夢二は彼の描きたいような女性を一途に捜し求めつづけたようなところがある。

終了後には20人近くでの飲み会があった。
同じ詩誌や勉強会のメンバーとはよく一緒に飲むのだが、県詩人協会のメンバーと飲むのは久しぶりだった。

一日じゅう詩に浸って、締めくくりに楽しくお酒も飲めて好い日だった。


# by akirin2274 | 2024-03-15 22:29

古い「詩学」を読んだ (瀬崎)   

古い「詩学」を読んだ (瀬崎)_c0138026_22250758.jpg
こんなものが出てきたと言って妻が差し出してきたのは「詩学 '70. 9」月号。

時代的には、いわゆる”70年安保闘争”が条約自動継続となった直後となる。
大学生だった私が第一詩集「眠り足りない微笑」(思潮社)を出した翌年でもある。そしてこの年に私は同志社や立命館の友人たちの「穹」という詩誌に参加している。

さて。作品頁に並んでいるのは、高野喜久雄、天野忠をはじめとして秋谷豊や福中都生子など。倉橋健一の名前も見える。

「詩書批判」では会田綱雄、星野徹の詩集が取り上げられていて、「詩誌月評」では、秋亜綺羅のガリ刷り個人誌や、入沢康夫、岩成達也らの詩誌「あもるふ」が紹介されている。
中江俊夫「第一詩集のこと」、壺井繁治「故郷と他郷と」というエッセイの顔ぶれをみても時代を感じる。

面白いのは「研究会作品」の欄。
いわゆる投稿欄なのだが、当時の詩学の投稿欄は4人の選者が持ち点を各投稿作品に振り分けて、それを集計するというやり方だった。そして座談会形式で講評している。
その選者の4人は石原吉郎、嵯峨伸之、宗左近、中桐雅夫というそうそうたる顔ぶれだった。

投稿者たちの顔ぶれも興味深い。池井昌樹、日原正彦、黒岩隆、貝原明などの名前がある。
そうか、今はいろいろと親交のあるこういった人たちはこの頃から頑張っていたのだな。
当然みんな20歳代の若者だったわけで、その頃の作品が読めたのも楽しいことだった。
(中桐雅夫は池井昌樹について、詩学投稿者の中でこの人が一番有望だよ、と言っている。)

裏表紙には、清岡卓行が推薦した詩人数十名によるアンソロジー「イヴへの頌」の広告が載っている。各詩人の肉筆原稿をそのまま本にする、となっている。このアンソロジーは実際に出版されたのだろうか?

この「詩学」、定価は200円。研究会に投稿するには5ヶ月1000円の定期購読者になる必要があったようだ。
そんな時代もあったのだな。


# by akirin2274 | 2024-03-08 22:30

大阪マラソン2024 (磯村)   

大阪マラソン2024 (磯村)_c0138026_17564776.jpg
5回目の大阪マラソン参加だが、一日中雨が降り冷え込むとの予報にモチベーションは上がらないまま。
当日朝は、傘はささなくても気にならない程度の小雨にいくらか安心する。
しかし気温は6度と寒く、結局この後も8度までしか上がらなかった。

大会会場の大阪城の西側から第2ウェーブでスタート。スタートライン通過は8分後ぐらいだった。
制限時間は7時間だが、これは15分前の第1ウェーブからの計算となっている。
このところはもう早く走れる気も全くしなくなっていて、とにかく完走できればいいや、できれば6時間以内で走りたいぞ、というところ。

走りはじめて1km7分のペース。今の自分の走力ではフルマラソン完走のためにはこれが精一杯というところ。
天満橋筋から天神橋筋をまわってきて、北浜から中之島へ。
そのあとの御堂筋で10km地点だったが1時間10分だった。こんなものか。

難波で西へ折れて京セラドームあたりをまわってくる。
中間地点手前でトイレ休憩。どこも込んでいて、そのロスタイムは10分あまりだった。

なにわ筋の折り返し途中で5時間半のペーサーと一緒になる。
第3ウェーブスタートのぺーサーということだったが、これは助かるなとその後ろについて走ることにする。
このまま行けるところまで引っぱってもらおうと思っていたのだが、33km地点の「まいどエイド」にきてしまった。

ここは大阪マラソンの名物エイドである。5時間半ペースランナーにはこの後もお世話になりたかったのだが、この「まいどエイド」を素通りするわけにも行かない。
ということで本格的に足を止めて立ち寄る。
食べたりもらったりしたのは、いなり寿司、いわしハンバーグ、とらふぐ寒天、一口チョコレート、ベビーシュー、くりまんじゅう、ミニカステラ、三笠まんじゅう、それにらっきょうが美味しかった。

さて、この直後からは勝山通りの20mの坂がある。もう潔く歩いて上る。周りもみんな歩いている(笑)。
今里筋の長い5kmの直線に入る。と、またまた38kmのエイド。またまた立ち止まってクリームパンや梅干しを食べる。
もうこのあたりではエイドを口実に休憩しているという感じになっていた。

40kmで環状線を越えるトンネルをくぐる。この時点で5時間20分。まあそうだろうな。
やっと大阪城公園に戻ってきて、5時間44分でゴールした。最後まで雨が本降りにならなかった事だけが幸いだった。

すっきりしない天気と寒さのせいで、最後まで気分的には盛り上がらない大会だった。
ホテルの大浴場に入り、ビールを飲んで、やっと人心地が付いた。


# by akirin2274 | 2024-02-27 18:02

なんば・みちこ氏追悼 (瀬崎)   

長く岡山の詩の世界を牽引してこられたなんば・みちこ氏が2月18日に亡くなられた。
享年89歳。あと数日で90歳だった。

ご主人の故・井奥行彦氏が作られた詩誌「火片」をお二人で支えてきた。
なんば氏を悪く言う人には出会ったことがない。陰口もきいたことがない。
それぐらい、なんば氏は誰に対しても優しく包容力のある方だった。

私は岡山で詩を書き始めたのはかなり遅かったのだが、その当初から親切に接してもらった。長く岡山県詩人協会の理事会ではご一緒してきた。
感謝あるのみである。

かなり前のことになるが、日本詩人クラブの岡山大会がおこなわれたときには実行委員長の井奥氏とともに運営にあたられた。
私は事務長としてそのお手伝いをしたのだが、なんば氏の各方面への気配りには感心したものだった。

大会翌日の吉備路バス観光では車内でなんば氏がマイクを片手に案内役をされたのだが、私の隣に座ってその姿を見ていた当時の理事長のKさん(女性です、念のため)が、なんばさんて本当におきれいね、と言われたことを思いだす。

葬儀には仕事の都合で参列できないので、前日に総社セレモニー・ホールでおこなわれた通夜に伺った。
遺影のなんば氏はいつものように優しくほほえんでいた。
多くの方に混じって焼香をし、安置された最後のお顔を拝見してきた。棺の傍らには娘さんのひとはなお氏の姿もあった。

ご冥福をお祈りする。


# by akirin2274 | 2024-02-21 11:54

聖良寛賞表彰式 (瀬崎)   

昨年11月に選考した聖良寛賞の表彰式がおこなわれた。

会場は玉島市民センターだったのだが、そこではいくつかの催し物がおこなわれていた。
そこで偶然に、仕事をセミリタイアするまで20年余りの付き合いがあった女性から声をかけられた。
高校生だった頃から知っていたから、彼女ももう50歳近くになっているわけだ。
最後に会ってから10年以上が経っている。なつかしい邂逅であった。

こういう仕事をしていると、長い付き合いがあった方も少なくない。
そういった方々からいまだに感謝の言葉をかけられると、仕事冥利に尽きるなとしみじみ思う。

さて。今年の聖良寛賞は2名の受賞者だった。
賞状の授与があり、つづいてそれぞれの受賞講演があった。

漢文学の森熊男氏は山田方谷の研究家でもあるのだが、今日は論語についての話だった。各地で論語の読み方教室などもされており、判りやすく面白い内容だった。
たまたま隣に座っていたのは私の会社に以前勤務していた方で、森氏の論語教室の生徒さんということだった。
倉敷の町は狭いなあ。

もう一人の受賞者は幻想小説の山尾悠子氏である。
山尾氏には今年1月の日本詩人クラブ岡山例会での講師をしてもらった。今日の話はその講演の内容と概ね似たものだった。

この聖良寛賞は受賞対象とする範囲が広いので選考には苦労するが、その多岐にわたった内容は他の賞にはない意義を持っている。


# by akirin2274 | 2024-02-19 21:45