「どぅるかまら」作品持ち寄り (瀬崎)
2012年 04月 23日
今日は北岡武司氏が絶好調(舌好調?)で、蒼わたる氏の作品などには、あちらこちらで日本語の使い方が間違っている!と噛みついたりする。
そこに秋山基夫氏、岡隆夫氏が合いの手を入れる。面白い。
「体験を書くのか、体験の意味を書くのか、この違いを認識しておかなくてはいけない」
「オチを個人に戻すか、普遍的な方向へ持っていくか。普遍的な方へ持っていくと、免罪符を得ようとしてしまうことになるかもしれない」
「どう書くのか、ではなくて、どう意味するのか、だ」
かっては、「なにを書くのかではなくて、どう書くか、だ」という議論もあった。
しかし、、どう意味するのかだ、と言われても、たとえば斎藤恵子氏の今回の作品などは、どう書かれているかの巧みさに、まずは唸ってしまったぞ。
12号での同人詩集の書評は4人の方に書いてもらった。
タケイ・リエ詩集評が高塚謙太郎氏、秋山基夫詩集評が及川俊哉氏、岡隆夫全詩集評が中村不二夫氏、そして私の詩集評が海埜今日子氏である。
どれも読み応えのあるとらえ方をしてくれている。素晴らしい。
あ、磯村の表紙絵が未だ出来上がっていない。
どうするんだ?
by akirin2274 | 2012-04-23 12:22