詩誌「洪水」 (瀬崎)   

c0138026_00011986.jpg「詩と音楽のための」ユニークな雑誌として池田康が発行してきた本誌は、20号となる今号で終了するとのこと。

財部鳥子や葵生川怜の詩や、毎号楽しみにしていた海埜今日子の連載エッセイも載っているのだが、終刊号としての特集は「歌が深遠にとよむとき」。
46人が自分の思いでの1曲を挙げ、それにまつわるエッセイを書いている。

おや、この人はこんな曲にこんな想い出を持っていたのか、と、軽い気持ちで面白く読める。

社会人となって暗鬱だった中本道代が聞いていたのが「アルビノーニのアダージョ」。
「現実の味気なさの対極にある世界を彼方に浮かびあがらせ」てくれたとのこと。

高階紀一の「タラのテーマ」にまつわる思いでも好い。
小学校の下校時にいつも流れたのがこの曲だったのだが、大人になってから聞いてみるとまったくテンポが違っていたとのこと。どうやら学校ではレコードの回転数を間違えてかけていたようだったのだ。その回転数の間違った曲とともに女の子の声が「下校時間になりました」と言っていたのだ。エッセイの最後は、
「あの子は誰だったのだろう。大人になって、彼女も僕のように気づいただろうか、回転数が間違っていたと。」

浜江順子と野木京子はデヴィッド・ボウイ、有働薫はもちろんモーツァルト。日原正彦と森山恵もモーツァルトだった。

私は高校時代を過ごした広島の街が重なり合うモダン・ジャズ・カルテット「ジャンゴ」について書いた。
この曲を聴きながら私は30枚ぐらいの小説(らしいもの)を書いて、その頃付き合っていた彼女にプレゼントしたりもしたのだ。

「あの不安定で、今の自分から見たら笑えるほどに瑞々しくて、それからの人生がまだ何も決まっていなかった高校生の私が、この曲には今も棲んでいる。」


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by akirin2274 | 2017-07-08 00:05

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