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ジョギング日和 (磯村)   

つい10日前ほどにはセーターやコートがいる肌寒さだったのに、急に暖かくなってきた。
絶好のジョギング日和。

ということで、リュックに着替えを詰め込んでのんびりと走り始める。
半袖Tシャツにジョギングパンツでも汗ばんでくる陽気。微風が心地よい。
このくらいに暑いと、かえって向かい風の方がいい。
追い風だと走る早さに相殺されてしまって無風状態のように感じてしまう。すると暑いのだ。

14km先のスーパー銭湯まで。
といっても、ここは本物の温泉が湧いている。
露天風呂につかれば、う~、極楽極楽。
風呂上がりのビールを飲んで、JRに乗って帰ってきた。

さて、1週間後には「ユリカモメ70kmウルトラ・マラソン大会」に参加する。
これは武庫川河川敷に片道5kmのコースを作り、これを7往復するというもの。

コースは平坦なのだが、この大会の一番の強敵は自分の心。
なにしろ10km走ってくればスタート兼ゴール地点に戻ってくる。いつでも止めることができる。
ということで、この大会の完走率は50%という、他の大会では見られない完走率の低さなのだ。

60km関門もあってこれが厳しい。7時間15分!
私が100kmウルトラ・マラソンを走るときのペースで行くと、60km通過はおおよそ8時間ぐらいとなる。
とても関門は通過できそうにない。
なにしろ今年はいろいろな用事が重なって、吉備路マラソンも加茂郷マラソンも、フル・マラソンは1本も走っていない。

ということで、50kmあるいは(時間切れになりながら)60kmを走ってくるというのが目標か。
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by akirin2274 | 2014-04-28 11:11

「ERA」Ⅲー2号 (瀬崎)   

c0138026_2357183.jpg第三次となっている詩誌「ERA」の2号が出た。
今回から新しく4人の方が加わり、同人数は25人となった。

巻頭の伊予部恭子氏の「河」にまず惹かれる。
病院から家に向かう車に母と一緒に乗っているのだが、おそらくは母とは会話も哀しくすれ違っているのだろう。
二人を隔ててゆったりと流れている河のイメージが秀逸だ。

尾世川正明氏の「壺のなかで半島になる」は、シュルレアリスムの絵画を見ているような楽しさがあった。

そして岡野絵里子氏の「霧」。
あらゆる色彩を失った世界では、人々の営みはまるで人形のようにぎごちない。
しかし、そこに大いなる意志のようなものは働いているのだろうか。

瀬崎は「砂時計」を発表している。
1連の起と5連の結を行分けにして、その間の2、3.4連の転の部分を散文詩型で展開させた。
転の部分はアラベスクのように取り止めもなく広がるイメージを狙ってみた。
次第に折りたたまれてくれれば成功なのだが・・・。

さて、今号の合評会は、7月に清岳こう氏のお世話で仙台でおこなわれる。
なんとか日程を調節して参加する予定でいるのだが、岡山からはどのルートで行くのが一番効率的なのだろうか。
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by akirin2274 | 2014-04-26 00:16

「バルテュス展」 (磯村)   

c0138026_1312422.jpg上野の東京都美術館で開かれている「バルテュス展」に行ってきた。
20世紀初めに生まれたバルテュスは、ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめている。
土曜日の初日だったが、未だそれほど人は多くはなく、ゆっくりと観ることができた。

今回初めて意識してバルテュスの作品を観たのだが、その静かな異様さに魅せられた。
たとえば、トランプ・ゲームをする人は無表情に画面の中からこちらを見つめている。
すこし不自然な姿勢で顔を背けている女性たちは、どこか違う世界を見ているようだ。

そして、無防備とも思える挑発的なポーズを取る少女は、観る者をどこまでも拒絶している。
拒絶することによって、自分の世界の在り方を確かめているようだ。

バルテュスが日本人女性と結婚していたことを、今回の展覧会で知った。
会場には彼の原寸大のアトリエが再現されており、そこで彼は窓からの自然光のみで絵を描いていたという。
光と影のあわいの中で色も形もあるのだな。
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by akirin2274 | 2014-04-21 13:58

どぅるかまらの会 (瀬崎)   

「どぅるかまら」16号を6月に発行する予定になっている。
ということで、恒例の作品持ち寄り会を倉敷でおこなった。
諸種の事情での欠席者が今回は多く、12名の出席だった。

各自のそれぞれの作品について、1編ごとに批評、感想を述べ合っていく。
作者が推敲をする上での参考になれば、という趣旨だから、厳しい指摘、厳しい批評、の方が有意義なわけだ。

しかし、ある人が否定的に捉えた表現や作品の組み立てを、別の人は好意的に捉えたりしている。
ひとつの作品が様々な読まれ方をされる。
一人で書いていては絶対に判らないような事柄だ。
そういうところが大変に面白い。

3時間半の討論をして、そのあとは8人で居酒屋へ。
お酒が入っての話題は、いろいろな人の噂話(!)からはじまって、理研のSTAP細胞の話、TTPの話まで、ときおりは短詩系の話も混じる。

さて、1週間ほどで最終稿に推敲した原稿を和光出版に送付しなければ。
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by akirin2274 | 2014-04-13 23:05

続・ナカモトさん (瀬崎)   

昨日、ナカモトさんについて書いたが、よく考えたら、ナカモトさんはすでにあらわれていたのだった。

杉中昌樹氏が発行している「詩の練習」に載せてもらった拙作「流れカフェにて」にすでにあらわれていた。
ひとりめの愛人が契りながら、「なかもとくんとはたまに会うよね/初組みだけれど」と笑いかけていたのだった。
このなかもとくんが(おそらく、このときはまだ青年だったのだろう)年を経てナカモトさんになったのではないだろうか。

それに、次号の「風都市」に発表予定の作品では、ナカモト君はわたしの部屋にやってきて、長年経理の仕事をしてきたスギモトさんと幸せピンポンをしている。
このナカモト君もまだ若かったのだろうなあ。

ひょっとすれば、これから先もナカモトさんはいろいろなところでいろいろなことをしているのかもしれない。
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by akirin2274 | 2014-04-11 15:45

ナカモトさん (瀬崎)   

詩誌「どぅるかまら」16号に発表する予定の作品を書いている。
「回転する世界について」という作品なのだが、ひとつの問題で悩んでいる。
ここ数日は、それをめぐって書いては直し、やはりこちらかと、また書いては直し・・・。

作品の内容は、話者であるわたしがある人物に問題解決を依頼するというもの。
で、悩んでいるのは、そのある人物をどのように表記するか、ということ。

「あの人」と、指示代名詞を使って表記してみた。
どうもすっきりしない。
その人物の顔が見えてこない。その人物の存在感が、どこにでもある指示代名詞の影に隠れてしまっているのだ。
「彼」なんてのは論外だ。

で、ナカモトさんという固有名詞を使って表記してみた。
この方がよほど存在感がある。ある特定の場所に居てくれそうである。

しかし、そのような偽の固有名詞に寄りかかった存在感でいいのだろうか。

でも、やはりナカモトさんの方が断然いいよなあ。
そういえば、小柳玲子氏の詩集に「為永さんの庭」という素晴らしいものがあった。
先日読んで唸った高階杞一氏の詩集のタイトルは「千鶴さんの脚」だった。
廿楽順治氏は人名シリーズで魅力的な作品を書いている。
私の詩もナカモトさんの方が断然いいよなあ。

しかし、それでいいのだろうか。
悩むぞ。悩むぞ。
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by akirin2274 | 2014-04-11 00:13

「別冊 詩の発見」 (瀬崎)   

c0138026_2075187.jpg山田兼士氏が編集している「別冊 詩の発見」は、大阪芸術大学文芸学科の発行で、毎年学生の卒業に合わせて制作されている。

後半には学生たちの詩作品や書評が載っているのだが、前半には編集者が依頼した36人の詩人の作品が並ぶ。

趣旨に賛同して作品を寄せた顔ぶれが素晴らしい。
文月悠光、一方井亜稀、峯澤典子各氏らの作品には、私(瀬崎)が希求する硬質の抒情があった。
小池昌代、水島英己、それに時里二郎各氏らの作品では、豊かな物語性の中から立ち上がる普遍的なものを感じた。

瀬崎は作品「その子の底」を載せてもらった。
ときどき、ふっと書けてしまう種類の作品で、数年前には「あの子の箱」が書けている。
意図的に書ける作品ではないので、自分でも書けてしまったものをどうしようもない。
ものすごい傑作か、ものすごい駄作かのどちらかなのだろうが、そんなことは自分でも判らない。

拙作の次のページには大好きな杉本真維子氏の作品「消防士」が載っている。
好いなあ。読んでいると泣けてくるようだ。
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by akirin2274 | 2014-04-04 20:38