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「ERA」京都合評会 (瀬崎)   

c0138026_1435713.jpg京都で「ERA」第三次6号の合評会があった。

今回は新潟や金沢、鹿児島などからの参加もあり、13人が集まった。
烏丸丸太町での4時間近い合評会は、いつものように熱心なものだった。

私の「見えない指先」にも非常に考えさせられる感想、意見が寄せられた。
たとえば、この作品の登場人物は誰なのか、といった疑問。
たしかに話者があいまいであり、したがって、どんな立ち位置から成立した作品なのかもあいまいであった。

また、主点となっている”黒”だが、それはあらゆる光を拒絶しているのか、あるいはあらゆる光を受け入れているのか。黒さは考え続けることであり、明るさは考えさせないことのようだ、など。

また、この作品の指はこの世とあの世の狭間にあり、いなくなった人が未だいる作品だ・・・。なるほど。
作者も明確には意識していなかった点の指摘もあった。合評会はありがたい。

終了後は先斗町へ。
この細い歓楽街の路地に足を踏み入れたのは十数年ぶりだろう。こんな路地だったか。

狭い階段を上がっての料理屋の二階で、食事会。
田村雅之氏、尾世川正明氏、川中子義勝氏などの男性陣は、まあ、飲むわ飲むわ。
女性陣では某さんが負けじとかなり飲んでいた。

そのあとは三条川端に出て居酒屋で飲む。

皆でそろって京都御所近くのホテルへ引き上げてきたのだが、某氏だけは京都の友人を呼び出して3時近くまで飲んでいたとか。すごい。
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by akirin2274 | 2016-05-30 14:07

「ライアン・マッギンレー展」+α (磯村)   

c0138026_2140296.jpg東京オペラシティにあるアートギャラリーで「ライアン・メッギンレー展」を見てきた。

初めて見る現代アメリカの写真家の作品が50点展示されていた。
副題は「BODY LOUD!」。
その副題の通りに、草原や、海辺、凍りついた瀧などを背景にした人物を撮っている。
意図的な構図で、あくまでも絵画的な写真であった。

これもよかったのだが、今回の収穫は同時に開かれていた「はなのなかへ」展。
これは同美術館が収蔵している3500点から選んだ「花」を描いた若手の作品の展示。

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落田洋子の油彩「どうぞお入りください」(ポスターの絵)や、河内良介の繊細な鉛筆画がよかった。

なかでも入江明日香の銅版画とコラージュを組み合わせた作品3点には感嘆した。
水彩画の滲みを思わせる淡い色調変化が画面にひろがっていた。
描かれている茴香やデイジーはすでにその形を溶かしていて、宇宙空間へ漂いだしているようだった。

この作品を見ることが出来ただけでも、初台まで出かけた甲斐があった。
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by akirin2274 | 2016-05-27 21:44

「ピカソ、天才の秘密」展 (磯村)   

c0138026_9215357.jpgアベノハルカス美術館で開かれている「ピカソ、天才の秘密」展へ。
今回は青の時代からバラ色の時代を中心とした展覧会で、90点ほどが展示されていた。

美術教師だった父親がピカソに絵を教え始めてみると、幼い彼があまりに巧みだったために、自分は絵を描くことを断念した、というのは有名な逸話である。

14歳の時のペン画が2点展示されていたが、確かに常人に描けるものではなかった。
軽妙でありながら物語性を伝えてくる。
「騎士」と題されたものは後年のドン・キホーテの絵に通じるようであった。

有名な青の時代は20歳からの4年間である。
大胆な線描以上に大胆な陰影のつけ方に感心した。
この時代の有名な「貧しき食事」はモノクロのエッチングだが、異様なほどに細く長い手指が、こけた頬と相まって印象的だった。

公になっているだけでもピカソは生涯に7人の女性と恋愛をしている。
面白いのは、つきあう女性が変わるとピカソの絵も変わった、というところ。

青の時代が過ぎて、バラ色の時代といわれる2年間が訪れる。
もちろん、つきあった女性が変わったわけだ。

有名なのは「道化役者と子供」や「扇子を持つ女」(ポスターに使われている)だが、「パンを頭にのせた女」もよかった。
ここでも大胆な明暗の調子が非現実的な現実感をもたらしていた。

このあとのキュビズムの絵も何点か来ていたが、なんといっても、青の時代、バラ色の時代の油彩8点を観ることが出来たのが好かった。
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by akirin2274 | 2016-05-22 09:23

日本詩人クラブ関西大会 (瀬崎)   

大阪上本町のホテル・アウィーナで日本詩人クラブ関西大会会場が開かれた。
私も一応は実行委員に名を連ねているのだが、まったく何のお手伝いもせずで、申し訳ないかぎり。

今年の日本詩人クラブ賞を受賞された林嗣夫氏が来られていてお祝いの挨拶をする。
林氏には来年の日本現代詩人会西日本ゼミナールin高知では事務局をしてもらうことになってる。よろしくお願いします。

講演は河津聖恵氏の「詩という希望」。
15人の詩人(講演では詩獣と言っていた)についてで、作品論ではなく詩人論が見直されてもよいのではないかという観点にはなるほどと思う部分もあった。

そのあとの中西弘貴氏の「花街、祇園の風景」は、そこで生まれた人しか知らないような御茶屋さん、置屋さんなどの話で、大変に面白いものだった。
京都では13年間を過ごしたが、祇園のお座敷に行ったのは上司のお供での数回だけだった。
(若かったころなので、あんなお座敷遊びが面白いのかなあ、と内心では思っていた。)

懇親会では乾杯の挨拶をする。そういえば、前回の大会でも乾杯の挨拶をしたのだった。
河津氏とは講演内容についての感想などを少し話したりした。
いつもいただいている詩誌「アルケー」の中原秀雪氏とははじめてお会いした。

居酒屋での三次会では、中井ひさ子、水嶋きょう子、小野ちとせ各氏らと。
鹿児島からの高岡修氏とは今回も楽しい話で盛り上がった。
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by akirin2274 | 2016-05-16 19:08

「どぅるかまら」作品持ちより (瀬崎)   

「どぅるかまら」の作品持ち寄り会を倉敷でおこなった。
今回は13人の同人が集まり、さらに一人の外部参加者O氏が加わった。

O氏はこれまでどこの詩誌にも属さずに一人で書いてきたとのこと。
ネットで私のことを知り、読んでもらえませんかと、5編ほどの作品を送ってこられた。
これから充分に書いていけそうに思えたので、持ち寄り会に誘ったのだった。

各自の作品に感想や批評を言い合っていると、今回も3時間あまりがあっという間に過ぎてしまった。
前回はたった9行の作品を持参して編集者を泣かせた秋山基夫氏は、今回は90行あまりの「恋花」と題した大作を持参していた。うへえ。

瀬崎は「訪問販売人の記録」を持参した。
実はこれは数年前に拙個人誌「風都市」に発表した「行方不明になった訪問販売人の記録」を下敷きにして書き直した作品。
原作はあまりにも粗雑だったのだが、その向かおうとしていたところには可能性を感じていたのだった。
行分け詩だったのは散文詩型となっており、展開もかなり変わった。果たして。

O氏にも新しい作品を持ってきてもらっていたので、皆で感想を述べた。
O氏は正式に「どぅるかまら」に参加することとなった。よかった。

終了後は駅前の居酒屋で飲む。
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by akirin2274 | 2016-05-11 22:53

「ユリカモメ70km」 (磯村)   

c0138026_1230316.jpg武庫川河川敷で開かれるユリカモメ70km大会に2年ぶりに参加してきた。
往復17.5kmのコースを4往復する。

平坦なコースは嬉しいのだが、この大会の一番の難しい問題点は周回コースであるところ。
1周走ってくるごとにスタート地点に戻ってくる。だからいつでも止められる。
ああ、今日はこれぐらいでいいか、という誘惑が毎回襲ってくる。

おまけに厳しい関門もある。
今回の関門は3往復終了の52.5km地点での6時間40分。これは私の走力ではどう考えても不可能な関門の設定である。

とにかくいけるとこまで行こうということでスタート。
最初の1週目は2時間ちょうど。
このペースが維持できれば3周時で6時間ちょうど。余裕でしょ、というところだが、そんなに甘いものではない。

2週目になるとスピードはがくっと落ちて、35kmを走ったところで4時間半が経っていた。
ゴール横のシートのあたりにはもう走るのを止めたらしい人が休んでいる。
しかし、まさかここで止めたのではわざわざユリカモメにやって来た意味が無いだろうということで、関門突破は無理なことを承知で3週目を走り出す。

ユリカモメを走るのも今回が最後になるだろうなとおもう。
この体力の衰えでは来年はもうないだろうと思う。
(今回の1000人あまりの参加者の中で私より年長の方は8人だけだった。)

疲労困憊で52.5kmを走り終えて7時間ちょうどだった。
来月には柴又100Kに参加申し込みをしているのだが、この距離でこの疲れようでは、赤信号以外の何ものでもないな。
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by akirin2274 | 2016-05-04 12:33

「ホフマニアーナ」 (瀬崎)   

昨年9月にアンドレイ・タルコフスキー著の「ホフマニアーナ」が出版されている。
タルコフスキーは、いわずとしれたソ連の映画監督である。

彼は生涯に7本の映画を撮ったが、最も有名なのは「ノスタルジア」だろう。
この映画は、イタリアを放浪したロシアの音楽家の足跡を追う詩人を描いている。
監督のタルコフスキー自身もソ連から亡命しており、祖国を失った心情のゆえか、その画面は哀愁を帯びており、濡れているような美しい色彩である。
物語自体も彷徨う心のように、あてどなくゆったりとすすんでいた。

もちろん映像はストーリーを語るためのもので、そのストーリーが要求した映像であるはず。
しかし、映像がストーリーを超えてしまっていると言ってもよいほどであった。

このようにタルコフスキーの映画は圧倒的な映像美でせまってくる。
そして彼は8本目の映画の構想を立てており、本書はそれを小説として書いたもの。

題材となったホフマンはドイツの作家で、幻想的な作品で知られている。
ホフマンを文字で描きながら、どこまでもタルコフスキーの最終的な目標は映像であったのだろう。
本書でも文章で映像を表しているといってもいい。

「ホフマンはまるで自らの幻想の中で救済されいるかのようだ」とタルコフスキーは日記に記している。
それは彼自身のことでもあるのだろう。

山下陽子の8葉の銅版画が付いた美しい本である。
(WEB文芸誌「詩客」から依頼されている現代詩時評の今月号分にこの本のことを書こうかと考えている。)
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by akirin2274 | 2016-05-01 22:13