「詩と思想」詩誌評 (瀬崎)
2013年 05月 31日
「一読した限りでは叙情としての感覚は残るが、意味が浮かばないように仕組まれている」とし、さらに「少し強引に鑑賞することを許してもらいたい」としたうえで、感想を書いてくれている。
そうか、こういう読まれ方もありうるのか、と思った。
自由な読み方は読み手の当然の権利であるし、作品を手放した作者がとやかく言うことではない。
ただ、ただ、傾聴するのみである。
表現された作品というものは実に面白いものであるし、それだけに作者は作品に真剣に向き合わなければならないとあらためて思わされた。
いろいろな読まれ方をすることの責任は、やはり作者にあるのだから。
花潜氏には深く感謝あるのみである。
そういえば、私(瀬崎)が書いた感想に対して、時折り、「その読まれ方は作者の意図と違います、あの作品はこういう意図で書いたのです」といった返事(抗議?)をいただくことがある。
そんなことを言うのかなあ?
手放した(発表してしまった)自分の作品を解説するのは、とても恥ずかしいことだと思ってしまうのだが。
(閑話休題)
花潜氏には、「詩と思想」5月号で詩誌「どぅるかまら」13号の夏田七重氏、坂本圭氏の作品についての感想も書いてもらった。
同誌の発行者として嬉しい限りである。感謝。
by akirin2274 | 2013-05-31 22:37