哀愁の内灘海岸 (瀬崎)
2008年 07月 15日
やはり行ってみようと、郊外電車に乗って夕方の内灘海岸へ。
久しぶりの内灘海岸は、良く整備された、どこにでもある砂浜になっていた。
夏は海水浴の家族連れで賑わうのだろう、今は少人数の若者たちが楽しそうに騒いでいる。
はじめて内灘海岸を訪れたのは35年前ほど前だ。
五木寛之の小説「内灘夫人」が学生に読まれていた頃だ。
その頃の海岸には、まだ米軍の射撃練習場跡が残っており、トーチカのような建物が散在していた。
米軍の演習に抗議する学生デモがくり返されていたりもした。
学生結婚だった私たちは、新婚旅行で金沢をまわり、内灘海岸を歩いた。
私は肩までのばした長髪だったし、妻はミニスカートをはいていた時代だった。
京都で「穹」という同人誌を発行していた頃だった。
もう内灘海岸という名前が何の意味も残していないことを確認して、日本海に落ちる夕日を眺めて、また郊外電車に乗って戻ってきた。
by akirin2274 | 2008-07-15 22:34