生頼範義展 (磯村)   

c0138026_11242483.jpg上野の森美術館での生頼範義展。
映画のポスターや本の表紙カバー絵などでよく知られる彼の作品約250点が展示されていた。

入り口すぐのところの導入部分には、彼のイラストを使った小説「三国志」や「水滸伝」「宮本武蔵」などの新聞広告があり、表紙カバーを担当した夥しい数の文庫本が塔のように展示されていた。
やはり凄いな。

平井正和や小松左京は彼の絵に惚れ込んでいたという。
彼らの本のほとんどの表紙絵は生頼が描いているが、一度も会ったこともなければ電話で話したこともなかったという。面白いエピソードだな。

個人的に馴染みが深かったのはコーエイのコンピューター・ゲームのパッケージを描いていたこと。
「三国志」、「蒼き狼と白き牝鹿」、「水滸伝」。「維新の嵐」などなど。懐かしい。

それに加えて惹かれたのはペンとインクによる人物画。
会場の始めに展示されていた新聞広告の原画が展示されていた。凄い。
点描、あるいはハッチングによるリアルな人物描写は、後に続くイラストレーターに大きな影響を与えたとされている。

世界的に有名になったのはジョージ・ルーカスに見込まれて「スター・ウォーズ」のポスターを手がけてからだろう。
それに「ゴジラ」の映画ポスターも手がけていた。
映画のポスターなどは、実写写真のコラージュとどのように違う魅力を出すか、ということになるのだろう。
とにかく大胆な構図と緻密な細密描写。圧巻である。

生頼の絵は完全にコマーシャル・アートを越えていて、ファイン・アートになっていると思えた。


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# by akirin2274 | 2018-01-20 11:26

現代詩ゼミナール (瀬崎)   

早稲田奉仕園での日本現代詩人会の現代詩ゼミナール。

講演は高橋順子氏の「夫・車谷長吉--詩と小説のあいだ」だった。
世間常識からは少し外れたような物書き同士の生活についての話は興味深いものだった。

それにしてもスコットホールはとても寒かった。
みんなコートを着たままで高橋氏の講演を聴いていた。
休憩のあとの後半は暖房が効くところで、ということで会場を移動した。前代未聞。

昨年詩集を出した6人の方の自作詩朗読があった。
竹内美智代氏は鹿児島弁で、中井ひさ子氏は関西イントネーションで、とそれぞれの個性が出ていた。

夕方から新年会。
詩誌「交野が原」に拙詩集「片耳の、芒」の書評を書いてもらった谷合吉重氏と初めてお会いできたのは嬉しいことだった。
気になっていた谷合氏の詩集「姉(シーコ)の海」の”シーコ”についても訊ねてみた。
ああ、そういうことだったのか。納得しました。

強烈な詩集「石の花」をいただいていた大木潤子氏にも初めてお会いしたのだった。

あとは何ヶ月かぶりに会う方々と、楽しい談笑のひとときを過ごした。
浜江順子氏は今年は声を小さくすると言っていたし、中本道代氏には寄稿のお礼、中井ひさ子氏や中田紀子氏には水彩スケッチを感心してもらった。

遠隔地からの参加者ということでスピーチの指名を受けたのだが、なんとその時にワイングラスを割るという大失態をしてしまった。
田村雅之氏には、あそこは台が傾いているんだよ、お前さん、知らなかったのかい、とからかわれてしまった。


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# by akirin2274 | 2018-01-17 22:30

今はこんな状態 (瀬崎)   

個人詩誌「風都市」33号の発行準備をしている。
今号の寄稿は、以前から一度は作品を掲載したいと思っていた中本道代氏。
12月末にはきりりとした作品をいただいていた。嬉しい。

私の詩2編も書きあがり、表紙、日録も出来上がり、あとは「あとがき」に手を入れて、今月中には発送できるようにしたい。

そのほかの予定としては…。

今年は四土の会のアンソロジーである「四土詩集」が発行される。
各自が数編の作品を載せるのだが、さて私は何を載せよう。迷うなあ。

詩誌「交野が原」からの依頼稿は今月末が締め切り。発表予定の作品は完成しつつあり、推敲をおこなっている。
詩誌「ERA」の締め切りは2月末。作品の構想は書き留められていて、これがどのようにうごめき始めてくれるか。

ほかには、詩誌「雨期」から依頼のエッセイ「至福のとき」は原稿を送ってある。
詩誌「孔雀船」からの依頼の詩作品も「とうもろこし畑で」を送ってある。
そういえば、「詩と思想」1・2月合併号に詩集「片耳の、芒」からの作品として「ミカサ屋」が掲載されたのだった。


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# by akirin2274 | 2018-01-11 16:23

中四国詩人会理事会 (瀬崎)   

中四国詩人会の理事会が岡山駅西口であった。
中四国8県からの30人ぐらいの理事が集まった。皆さん、ご苦労様です。

昨年後半から体調を崩していた岡隆夫氏が元気になって出席されたのは嬉しいことだった。
いろいろと様子をうかがうと、少し間違えれば命の危険もあった状況のようだった。
なににしても無事に回復されて何よりだった。

昨年の会計報告や、今年度の中四国詩人賞選考についての相談があった。
それにしても、会員が次第に減ってきているのは、憂慮すべきことである。
なんとか若手に参加して欲しいのだが、そんな会に入って何かいいことがあるのですか?と聞かれると、明快に答えられる自信は、ない。

今年秋の中四国詩人会は岡山大会なので、現在までの計画概要を報告して、理事会で承認してもらった。
いよいよ実行委員会を組織して細かな準備に取りかからないといけないな。

終了後は新年会を兼ねた会食。
普段はほとんど接点のない方たちとの会話は新鮮である。
200号になった詩誌「山陰詩人」のことや、詩誌「裸足」から生まれ変わった「ネビューラ」のことなど、他誌の情報をいろいろと聞くのも楽しい。







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# by akirin2274 | 2018-01-09 00:14

お散歩 (磯村)   

1月4日は仕事始めだったが、この日は本社から15kmぐらい離れたところの支社への出向。
仕事が予定より早く終わったので、手配してくれた帰りのタクシーを断って散歩してみることにした。

暖かい陽が照っていて、ときおりの風も心地よい程度。
コートを脱いで高梁川の堤防をぶらぶら歩く。
眼下の河川敷ではゴルフをしている。ときおり白球が飛ぶのを振り返って眺めたりする。

5kmぐらい歩いたあたりで、バスが来たら乗ろうかなと思ったが、あれ、停留所がないなあ。
そういえば毎週支社へはタクシーで往復するのだが、路線バスを見かけたことがなかったぞ。バスは走っていないのだろうか。
のどかな郊外なのでタクシーも通りかからない。

こうなればついでに郊外の大型ショッピング・センターまで行ってみようか。
さらに5kmぐらいぶらぶら歩いて、たどりついたSCはすごい人だった。
そこからはシャトルバスに乗って市街地に戻ったが、2時間ぐらい歩いてしまったな。散歩にしてはよく歩いたな。

その翌日、なまった体に活を入れようと今年初めてのジムへ。
ゆっくりとだが10km余りをトレッドミルで走ったら、さすがに昨日は会社の階段を9階まで上がるのが辛かった(1日3往復まではエレベーター使用禁止という自己ルールあり 笑)。

2日間合わせてもハーフ・マラソンの距離には達していないはずなのに。
歩くのには慣れていないので、使う筋肉が違って疲れていたのだろうな。


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# by akirin2274 | 2018-01-06 19:35

今年のまとめ2017 (瀬崎)   

自分の心覚えのような記事です。ご勘弁を。

・個人誌「風都市」31号、32号を発行した:ゲスト=坂多瑩子氏、海東セラ氏
・詩誌「どぅるかまら」21号、22号を発行した
・詩誌「第三次 ERA」に引き続き参加した

・岡山県詩人協会の会長に就任した
・中四国詩人会理事を引き続きおこなった
・日本現代詩人会理事を二期4年間務めて終えた

・広島県詩人協会総会で講演「詩の世界の広げ方」
・岡山県文学選奨の総合審査員を務めた

・ブログ「瀬崎祐の本棚」に詩集、詩誌の感想を書き続けた
・WEB詩誌「詩客」に現代詩時評「赤いものを求めて」
・「詩と思想」誌で個人誌特集のインタビュー「瀬崎祐氏に聞く」

・エッセイ
 「広島の街で聴いた曲」 詩誌「洪水」
 「F君について,ペンネームについて」 エッセイ誌「R」

・詩作品の発表
 「うりざね」 詩誌「交野が原」
 「(小部屋に人はいなくて」 詩誌「ERA」
 「中庄三丁目」および「みゆき」 詩誌「風都市」
 「満中陰」 詩誌「どぅるかまら」
 「冷たい指先」 詩誌「交野が原」
 「蟬翅の庭」 詩誌「ERA 」
 「唐橋まで」および「脚をたたんでもたれて眠れば」 詩誌「風都市」
 「さとうきび畑で」 詩誌「孔雀船」
 「奥津のとき」および「水分かれ」 誌「どぅるかまら」

・アンソロジーへの参加
「うりざね」 日本詩人クラブ「日本現代詩選2017」
 「(小部屋に人はいなくて」 岡山県詩人協会「岡山県詩集2015」


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# by akirin2274 | 2017-12-31 11:11

大失態 (瀬崎) 2017/12/29   

「どぅるかまら」23号の編集会議のことは前回書いた。
実はそのときに私が大失態をやらかしていた。

ある原稿をひとつ和光出版に送っていなかったのである。ありゃあ。
では、ここにその原稿を入れるので見開き2頁開けておいてください。はい、判りました。
で、残りの作品の編集を無事に終えて、翌日いそいでその原稿を送付した。これで一件落着だ・・・と思っていた。
ところが。

その原稿を組んでもらったら、あれ、3頁分の長さだ・・・。
これは困った。3頁目と対になる1頁をまったくの白紙にするの見栄えが悪い。

そこで、急遽1頁分の作品を私が(責任を取って)書いて頁を埋めることにした。
とはいったものの、作品の予備なぞあるはずがない。
明日までに新しい作品を書きあげなくては・・・。

切羽詰まった精神状態に陥るというのは、怖ろしいことでもある。
なんと、1日でぴったり13行の作品が書けてしまったのである。
それも自分で言うのもなんだが、かなりの傑作である。
この出来映えなら「どぅるかまら」に載せても少しも恥ずかしくないぞ。

ということで、1月発行予定の「どぅるかまら」には私の作品が二つ載っています。
出来映えを比べてみてください。
追加した方の作品が高評価だと、ほっとするような、いやいやがっかりするような・・・。
複雑な心境になるなあ。



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# by akirin2274 | 2017-12-30 01:02

「どぅるかまら」編集会議 (瀬崎)   

岡山駅前の居酒屋に河邊由紀恵、北岡武司、齋藤恵子、それに私と集まり、「どぅるかまら」23号の編集会議をおこなった。
どうせ編集が終わったら飲むのだから、じゃあ始めから居酒屋集合にしようという(不埒な)考えである。
和光出版の西社長も版下を持って来てくれた。

今回提出されている作品を最終的にチェックする。
編集後記、同人動向、近況報告などもチェックする。

で、これまでの各作者の作品掲載順なども勘案して、詩誌が全体で一つの流れのものになるように配置を検討していく。
今回は神尾和寿氏に依頼していた秋山基夫詩集「月光浮遊抄」書評も掲載するので、それをどこに置くか。

無事に編集作業が終わって、忘年会を兼ねた飲み会。
そこでの相談事。
先日ある同人が大きい賞に決まりましたとの連絡を、その事務局からもらっていた。
私が推薦文を書いた賞だったので、嬉しさもひとしおである。
その賞を受賞すると、それなりの格式の授賞式を開催するのが慣例となっているとのこと。
で、賞を制定している某新聞社が取材に来るとのこと。

さあ、どこでやろう?
どちらにしても、ちょっと体調不良となっていた某氏もこれで元気が出てくれたらよいのだが。

北岡さんは、急に思い立ったらしく来年前半に詩集を出したいと西さんに相談を始めた。
作品がたまっているから2冊同時に出そうかな。
えっ、お金持ちぃ~(笑)。



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# by akirin2274 | 2017-12-26 16:13

「日本現代詩選2017」 (瀬崎)    

c0138026_20104663.jpg日本詩人クラブ発行のアンソロジーの第38集がとどいていた。
560頁の大冊で、会員400人の作品が掲載されている。

私は「うりざね」を載せてもらった。
この作品は金堀則夫氏が発行している詩誌「交野が原」に発表したもので、26行の軽いタッチのもの。
理屈にも何にもなっていない珍妙な作品なのだが、そのあっけらかんとした感じが自分で気に入っている。

そしてこのアンソロジーのカバー、表紙、扉の挿画の作者名を見て驚いた。
画家でエッセイストで、2008年に亡くなった宮迫千鶴の絵が使われていた。
画家の谷川晃一の奥さんで、「ママハハ物語」を書いたり、評論家の上野千鶴子と「つるつる対談」をしたりしていた。

実は彼女は私と同じ1947年生まれで、広島の出身である。
私が広大附属高校の文芸部にいた時に、彼女は広島女学院の文芸部にいた。
この2校は文芸部の顧問の先生が熱心で、交流もあった。

そのころ彼女は詩を書いていて、文芸誌に載った彼女の作品には(どんな作品だったかは忘れてしまったのだが)感嘆した記憶がある。
女学院に宮迫というすごい詩を書く奴がいるな、と思っていた。

当時私は中国新聞という地方紙の「中国詩壇」という投稿欄によく載せてもらっていた。
その関係で、向こうも私のことは知っていたらしい。

彼女とは縮景園というきれいな庭で会ったことがある。
どんなことを話したのだったか、眼の大きな子だなと思ったことだけを覚えている。

そののちは新聞の書評欄で彼女の活躍を読んだりしていた。
9年前に彼女の死亡記事を見た時は、ああ、亡くなったのか、と思ったものだった。
それだけのことなのだけれど。


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# by akirin2274 | 2017-12-19 20:14

ホノルル・マラソン (磯村)   

c0138026_17460687.jpg7年ぶりにホノルル・マラソンを走ってきた。

初めてのフル・マラソンを走ったのが、制限時間がないということで選んだホノルル・マラソンだった。
ジョギングを始めて数年が経ち、一生に一度でいいからフル・マラソンを走ってみたいという思いだった。2000年のことである。

結局それからは2010年まで毎年走ってしまった。
10回走ったからホノルルはもう卒業しようということで、それからは12月には別の大会へ行っていた。
今年は区切りの年齢になったので、最後にもう一度ホノルルを走ってこようと思ったのだった。

ホノルル・マラソンで知り合った仲間も少なくない。
今年は日本の各地から集まった(日本では会うこともない)5人と久しぶりに再会できた。
ぶじに大会が終わった夜には、皆でホテルに集まり完走食事会をおこなった。
レンタカーでわいわいとオアフ島ドライブを一緒に楽しんでも来た。

あっという間に過ぎたような、それでもいろいろな印象深いことが沢山できたような、そんな7泊9日間のハワイ旅行だった。

ジョギング人生の最終目標としていたのは、70歳になったら(歩いてでもいいから)最後にフル・マラソンをゴールして終わろう、というものだった。
ところが、あれ? よろよろとだけれどもほとんど歩かずにゴールできてしまったぞ。
完走者名簿を見ると、20351人中の7725番だぞ。

ホノルル・マラソンは初心者が多いことで有名。
しかし、この順位をみると、案外まだやれるのではないかな・・・?と思ってしまうぞ。

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# by akirin2274 | 2017-12-17 17:47